現代人の夜這いや道祖神に対しての捉え方
昔の人が体験していた実際の夜這いの感覚と
今の現代人が過去の夜這いという出来事について書いたものを読み、
思い巡らせイメージしたものでは
夜這いの在り方が大きく違う気がします。
なぜなら
今のように情報が交錯し、簡単に「信じる」ということができなくなってきている現代人は
昔の人のような純粋さを持った人の行動や考え方から、かけ離れてしまっていて、感覚が別物になっていると思うからです。
昔の人は自然の中で生かされ、現代人よりも、もっと謙虚な考え方や生き方だったように思います。
厳しい環境の中、男女が抱き合うことは、肉体的な欲望とはまた別の意味を純粋にもっていて、昔の人は、そのことを身を持って感じとっていたのではないでしょうか。
ですから性器の形をした「道祖神」も誕生したのでしょう。
今の現代人が昔の人が崇めた性器の形をした「道祖神」をみて
「いやらしい・ひわい」という言葉でかたずけるのを聞くたびに、昔の人と現代人のギャップを強く感じるのです。
それらを見て「いやらしい・ひわい」という思考になる現代人の男女の交わりは、慈しみや、崇高さはほとんど失われ、ただの快楽や、自分の欲求のはけ口になってしまっていて、
男女交わっても、お互いの交流があまりなく(エネルギーの交流も起こりにくくなっていることでしょう。)心身共にしっかりと満たされず、自分の淋しさをどう処理してよいのか、すっかりわからなくなってしまっているような気がします。
だからセックスレスの夫婦も多いのでしょう。